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2006年7月 4日

母を送る

ブログの更新もずいぶんご無沙汰していたけれど、ぼくにとっては大きな出来事があった。

6月23日の金曜日14時45分、がんと一年六ヶ月間闘ってきた母が逝った。

握っていた手に手ごたえはなく、マスクから供給される大量の酸素のわずかに肩の動くとても浅い呼吸をゆっくりと続けていた。一瞬大きな呼吸をしたように感じた後、心電図が0のまま動かなくなった、おだやかな顔した母の眼元に涙なのか汗なのかうっすら浮かんでいるように見えた。

一年六ヶ月前大腸がんと診断、即切除手術がおこなわれ無事終了したけれど、がんは大腸壁からリンパ節までたっしておりステージ4に分類される手術後五年間の生存率が25%以下という”すでに手遅れ”状態だった。

それでも経過は順調で日に日に回復する姿を見て、きっと大丈夫、完治はしなくても長生きしてくれてだろうと勝手になんの根拠もない漠然とした判断を続けてきた、少なくとも5月末日の再入院まではほとんど疑いもなくそう思いこんでいた。4月の入院でお見舞いに訪れたとき8Fの病室の窓からみえる風景を描いた水彩スケッチを見せてくれた、病院は退屈で仕方ないと愚痴っていたほどだ。

しかし実際は腸癒着による腸閉塞とその手術、抗がん剤投与による副作用、肺に水が溜まりがんの肺転移と思われる症状が現れはじめ状況は悪くなる一方だった。先週の月曜日には自力での呼吸が困難な状態となり、食事もできず急激に体力が衰えた。それでも水曜には飲み物を飲んだり会話をしたり容態は安定してきたので、妹と交代でぼくは一旦横浜の自宅に戻った。ところが金曜の明け方、W杯ブラジルー日本戦を見終えてベットに横になって間もなく、電話がなった。名古屋にかけつけたときには意識もなく呼びかけにも反応しない状態だった。

思い返してみると「・・・たられば」の繰り返しになってしまう、もしもっと早くがんに気づいてきれば、もっと早くがん専門の医療機関の診察をうけていたら、もっと腸閉塞の予防を意識していれば、もっともっとがんについて知識があれば、、、、きりがない。

葬儀の数日間は一人でいると思い出や記憶がつぎつぎとフラッシュバックしてやりきれない気持ちがこみげてくる。眠っているように棺におさめられた母が火葬される瞬間、はっきりとこれが永遠の別れなんだと強く意識させられた、形さえもう残らないのだと。

先週の一週間、故郷の名古屋で家族と過ごした。がんとはいえほんのわずか一ヶ月前までは普段どおり生活していたこの家は母の生活スタイルそのものなんだとあらためて気づく、予定が書き込まれたカレンダー、よく聞いていたクラシックのCDとCDラジオ、電話で脇に置かれた部屋にまったく馴染まないもらいもののアンティークスタンド、台所から母がひょっこり顔だしそうなくらいいつもと変わらぬ光景だ。

かつては家族6人で住んでいたこの家も今後は父と妹の二人暮らし、何十年と蓄積された生活用品が今はもう使われなくった元ぼくの部屋に無造作に積み上げられている。ぼくら兄妹はそれらを少しずつ整理することにして、ホコリまみれの段ボールを開いていくと、なんでこんものいつまでも捨てず残しているんだろう疑いたくなるのもばかりだった。しかしその一つ一つを眺めていると、すっかり忘れていた過去の記憶がよみがえってくる。お正月によく遊んでいたりっぱな押絵羽子板、スクール水着と愛用していた浮き輪、水彩の写生や全部平仮名で書かれた将来の夢の作文、100点とった理科のテストまで残っていた。

ぼくでさえ忘れかけたおぼろげな在りし日の思い出を大切に保管してくれたお母さん、ぼく以上にぼくことを知っていてくれたお母さん、ほんとうにほんとうにありがとう。

ここから続き

投稿者 hatch : 2006年7月 4日 22:34

コメント

ご母堂様のご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申しあげます。

ちょくちょく覗かせていただいてますが、初めて(もしくは、ものすごく久しぶり)のコメントが、このようなものになろうとは・・・。

男は誰しもがマザコンだと云います。
たくさんお母様の事を考えて、思い出してください。
それが何よりの親孝行になるのだと思います。

最後になりましたが、心からご冥福をお祈りいたします。

投稿者 atmo : 2006年7月 5日 00:24

この度はご愁傷さまでした。心よりご冥福をお祈りいたします。

俺も人事じゃないからかも知れませんが,読んでいて思わず泣いてしまいました。身近にいるんだから本当はもっと相談に乗ることもできたはずなんだけど,そんなことにも気付かなかった自分が情けなくなります。ほんとにおつかれさまでした。

俺も悔いのないように家族と接していこうと思っています。それを気付かせてくれてありがとね。

投稿者 とーる : 2006年7月 5日 02:14

私、母子家庭なので、母には人一倍思い入れがあります。
申し訳ありませんが、途中までしか読めませんでした。

お母様のご冥福を心よりお祈りいたします。

投稿者 くまだ : 2006年7月 5日 10:44

最近実家に帰って両親の状況を確かめたばかりです。

健在であることにホッとしていたところですが、やはりこのようなことは想定していなければならないですよね。

この度はご愁傷さまでした。心よりご冥福をお祈りいたします。

投稿者 (も) : 2006年7月 5日 12:39

最近実家に帰って両親の状況を確かめたばかりです。

健在であることにホッとしていたところですが、やはりこのようなことは想定していなければならないですよね。

この度はご愁傷さまでした。心よりご冥福をお祈りいたします。

投稿者 (も) : 2006年7月 5日 12:40

そうだったんですね・・・。
心から、ご冥福をお祈りします。
お母さま、これからも、ずっと、ハチさんのことを見守ってくださると思います。

投稿者 じゅんじゅん : 2006年7月 5日 13:40

ハチさんの深い悲しみを思うと掛ける言葉も見つかりません。
私の実家でも8ヶ月前に逝ってしまった父の品々が今でも沢山残されています。それを見るたびに悲しみに締め付けられます。
未熟な私は私の中の悲しみの場所とどう付き合っていけばいいのか手探りの状態がまだ続いています。
けれども残された家族のために強くあろうという気持ちが強くなったと思う。そしてどういう形であれ周りの人が元気でさえいてくれたらそれだけで幸せだと、人生がシンプルに考えるようになったかもしれません。
落ち着いたら皆でご飯しましょう。

投稿者 ショコ : 2006年7月 5日 15:17

大変ご無沙汰しております。
実は6月23日は私の誕生日でした。。

私の母は今こそ元気にしておりますが、
20年近く前に同じく癌を患いました。
そして偶然にも両親は今、名古屋に住んでいます。

hatchさんのこのログを読みながら、
最近ろくに会いにも行っていない自分が
何だかすごく腹立たしくなりました。。
ちゃんと会いに行かなきゃ、もっと電話して、
話してあげなきゃ、と。。

心よりご冥福をお祈りいたします。

投稿者 snakecharmer : 2006年7月 7日 23:43

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